みんな大切な人です。
2014年01月02日 (木) | Edit |

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年末に母を伴って、東北旅行してきました。
一度は訪れたかった冬の東北、雪の平泉・中尊寺。 やっと実現できました。


中尊寺金色堂。 この中に光り輝く金色堂(撮影禁止)が保存されています。
創建当初(1124)の姿を今に伝える唯一の建造物、綺麗です~!!


弁財天堂。 


経蔵。今は彩色も歳月に洗い流され、金色堂とは異なった趣が・・・。


途中に見つけたお地蔵様。 峯薬師堂の池は凍りついてました。


大長寿院は多宝塔の次に古くて 初代の藤原清衡公が嘉承三年(1107)に
建立したとされています。


月見坂を振り返って・・・。


白山神社能舞台。


雪の華が満開です。


月見坂を本堂に方へ下る坂道には、ぼんぼりの準備がされてました。


讃衡蔵。 ここには国宝の紺地に金文字の中尊寺経や三体の丈六仏など
3000点以上の国宝・重要文化財が収蔵されています。


そして本堂。本尊の両脇にある灯籠には、比叡山延暦寺から分火された、
宗祖伝教大師最澄以来灯り続ける「不滅の法灯」が灯っています。


本堂ではお正月準備で忙しそうに働く方たちの姿が・・・。


源義経が平泉に自害し、奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる1689年
松尾芭蕉が門人と2人、「奥の細道」の旅にでます。 平泉を訪れた芭蕉は、
義経公の居館があったと伝えられる高館の丘陵に佇み有名な句を残します。
「夏草や 兵どもの 夢の跡」
そして金色堂に参詣、かろうじて光を保つ姿を謳った俳句。
「五月雨の 降残してや 光堂」

松尾芭蕉は、木曽義仲の眠る滋賀の義仲寺に長く滞在し、遺骨も義仲の墓の
隣に埋葬されています。 悲運の武将源義経、義経に討たれた木曽義仲、
義経の忠孝の士として討ち死にした佐藤継信・忠信兄弟。
芭蕉は猛々しさと優しさを合わせ持つ悲運の武将への思入れが強そうです。


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