みんな大切な人です。
2015年02月22日 (日) | Edit |

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昨日は梅を見に、またまた三渓園。
ここ三渓園には原三渓が支援し交流のあった多くの芸術家が訪れています。


前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など
近代日本画を代表する多くの作品はこの地で生まれたものです。 


中でもインドの詩人・思想家でありアジア人として初のノーベル文学賞を
受賞したタゴールは、この地で「さまよえる鳥(Stray Birds)」を作りました。


1916年(大正5年)、タゴールはかねてより交流のあった岡倉天心を訪ね
アメリカ講演への旅の途中に日本に寄ります。 しかしその時既に岡倉は
亡くなっていたため、天心の弟子で親友だった横山大観がこの地に案内
したそうです。


夏の迷い鳥たちは、
わが窓辺にきて歌をうたい、
飛び去る。
秋の歌なき黄ばんだ木の葉は、
吐息とともに舞いおちる。

この世の、
ほんの小さな放浪の一座よ、
わたしの言葉のなかに
きみたちの足跡を
とどめていっておくれ


この詩は、原三渓がタゴールに山荘・松風閣をゲストハウスとして提供し、
そこを案内している時に一羽の鳥が窓から彷徨いこみ、それを詠った
ものだそうです。


これは戦火で焼け落ちた松風閣の遺構の一部です。


松風閣は、現在は展望台になっています。


そこからは海側に広がる工場が一望でき、なかなかの迫力です。^^


三渓園の左手奥には、大きな茅葺屋根の旧矢箆原家住宅があります。
これはダム建設により水没した岐阜県大野郡荘川村岩瀬(白川郷)に
あったものが、1960年(昭和35年)に移築されました。


大正期、京都の老舗・丸平大木人形店の雛人形。


岩瀬(矢箆原)佐助は、飛騨三長者のひとりで、飛騨地方の民謡に
「宮で角助、平湯で与茂作、岩瀬佐助のまねならぬ」
(普通の農民は3人の真似ができない)と歌われるほどだったそうです。


2階?屋根裏に上ってみると、昔の生活道具がいっぱい展示してあります。


茅葺屋根の隙間から差し込む光が暖かい。


この日は横濱本牧囃子連によるお囃子も。


多くの経済人が東京シフトする中、原三渓は生涯横浜に留まり、関東
大震災後の横浜の復興に全力で取り組んでくれました。


冬桜が少し咲き始めていました。


1年に何度か訪れる三渓園ですが、歴史についてじっくり調べたのは
今回初めてです。


もしかしたら小学校の遠足の時に、聞いていたのかもしれませんが・・・。


今度は桜の時期に、またやってこよう・・・と思います。(#^.^#)


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