みんな大切な人です。
2011年04月25日 (月) | Edit |

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私の父は戦前に生まれ、戦時教育を受けて育った。
子ども時代の夢は特攻隊だったそうだ。
しかしいざ学徒動員の時には、視力が弱かったため飛行機工場で働くことに。
父が17の時に終戦を迎え、それまで「お国のために死ぬ」が合言葉だった
世の中が一変した。父は混乱の中、目標を失い一時荒れたらしい。

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【父が昔を思い出しながら、設計図を描き自分で作った木製飛行機】

戦争中に覚えた設計を勉強し直し、いつか自分の手で飛行機を設計するのが
父の夢になった。実際には某造船会社で船の設計をしていたが・・・。

私が子どもの頃は、月に一度、会社の寮に住んでいる後輩たちを家に招いて
家庭の味を振舞って、みんなで飲み会をしていた父。私はその時は手伝わされる
ものの、ご馳走が食べられ、お兄さんたちに遊んでもらえるのが楽しみだった。

山が好きで私が小学校までは、毎年電車を乗り継ぎ、山歩きに連れて行かれた。
車酔いのひどかった私には、地獄のような旅行だった・・・。

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【70の手習いで始めた父の木版画】

後年の父はお酒も飲まず、ただ黙々と仕事をする真面目な頑固一徹の人だった。
見るテレビといえばNHKとニュースのみ。クラシック音楽と読書が好きで、
最近は70の手習いで始めた木版画をこつこつと時間をかけて何作品も作っていた。

「女でも賢くなければいかん。表面を飾っても中身がなければ美しくなどない。
 人の美しさというものは、内面から出てくるものだ。正直に生きろ。」
私が子どもの頃から、そんな難しい注文をつける父だった。些細な嘘も誤魔化しも
許さない厳しい人だったおかげで、私は馬鹿正直で不器用な人間に育ってしまった。

その父が亡くなった。調子が悪いと病院に行ったきり、たった12日の入院で・・。
お医者様が検査をしようと言っても、無駄なことはしないと拒否し続けた父。
死んでいく者のためにお金を使わずに、生きている人のために使え、と。

入院する3日前に、私の上の息子が就活ついでに、8年ぶりに実家を訪れた。
これも虫の知らせだったのかもしれない、孫に会えて父はたいそう喜んだそうだ。
亡くなる2日前には下の息子も信州から駆け付けてくれた。弟が信州から着いた
その翌朝、父は安心したかのように息を引き取った。

口数も少なく人付き合いが下手、質素に最後まで自分磨きを続けた父。
ただの市井の人だったけど、私は父を誇りに思います。たくさんの愛情ありがとう。


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